7年生のバレンタインに初めて女の子にホグズミードに誘われた。

正直、引っくり返るかと思うくらいびっくりした。僕は勉強にしか興味のないお堅いつまらない男だという見解が女の子の間では一般的だったし、実際のところ僕だってさして女の子に関心はなかった    もちろん、皆無だったと言えば嘘になるけれど。
それでもやっぱり、誘われた時は嬉しさを隠せなくて。

「僕は……構わないけど    

照れ臭そうに笑う彼女は、本当に可愛かった。

彼女のことは以前から知っていた。寮は違うけれど、図書館    しかも闇の魔術に関する棚の近くでよく見かける子だった。彼女もその時に僕を知ったのかもしれない。
二人で村の外れを散歩している時に、彼女は真っ赤になりながら告白してきた。僕も彼女に負けないくらい紅潮して「……僕で良ければ」と言った。僕が彼女を好きになるまでにはあまり時間はかからなかった。

幸せだった、とても。女の子といるだけで毎日がこんなに充実したものになるなんて知らなかった。本当に、嬉しかった。ありがとう。心から、そう思っている。

だから私は    今、君を手放すべきなんだ。
彼は卒業して2年でホグワーツの古代ルーン語担当教官になり、彼女はすぐに魔法省の魔法生物規制管理部に入省した。
彼の研究室で温かい紅茶を飲みながらホッと息をつく。

「仕事に戻らなくてもいいのかい?」

奥の小部屋から皿に盛ったビスケットを持ってきたクィリナスがデスクの椅子に腰掛けながら言った。

「ちょっとくらい休んで帰ったって文句なんか言われないわよ。こっちはわざわざホグワーツまで出向いてきてるんだっての」

悪態をついてビスケットに手を伸ばす。彼は呆れたように笑った。

「大体ね、ハグリッドってば大人なんだからもうちょっと考えて行動して欲しいわ。『ペット』と『危険な生き物』の区別もつかないなんて」
「それは……仕方ないよ、それがハグリッドがハグリッドである所以だろうしね」
「それを言ったらおしまいでしょう…何のためにうちの部署があると思ってるの」

彼女は紅茶をもう一口喉に通して、少し間を置いてからポツリと呟いた。

    まぁ……そのお陰でこうしてクィリナスと一緒にいられる時間が出来るんだけどね」

彼は頬を若干朱に染め上げて目を瞬かせたが、やがて小さく笑んで「そうだね」と囁いた。

二人は休暇が重なることが殆どなかった。ホグワーツは週末が休みだが魔法省の休暇は非常に不定期的だ。故にこうしてしばらく彼の部屋でゆっくりできるのは、彼女が仕事でホグワーツを訪れた日(もちろんハグリッドの『ちょっと危険』な生物の件だ)の彼の空き時間であることが多い。
彼の研究室には古代ルーン語ばかりでなく、闇の魔術に関する書物もたくさんあった。1年目から彼はずっと闇の魔術に対する防衛術教官に志願しているのだが、ルーン語は教えられる先生が滅多にいないということで何年も任されきりなのだ。
それでも学生時代から闇の魔術に対する防衛術が抜きん出て得意だった彼は、今でもこうして合い間合い間に一人で研究を続けておりいつの日か闇の魔術に対する防衛術の教官に採用されるようにと日々努力している。

壁に掛かった時計を見上げ、彼女はアッと声をあげた。

「もうこんな時間!さすがに帰らなきゃ……また部長に怒られる!」

冷めてしまった残りの紅茶を一気に飲み干して慌てて立ち上がる。ついでにもう一枚ビスケットをかじって彼女はクィレルに顔を向けた。

「ごちそうさま、美味しかったわ。ありがとう」

そして煙突飛行粉を取り出そうと懐に手を入れると、突然もう片方の手を彼に握られる。彼女が少し驚いて顔を上げた時、彼は机越しに身を乗り出してそっと彼女の唇にキスを落とした。
懐に手を入れたまま彼女が軽い硬直状態に陥っているうちに、彼は耳まで真っ赤になってすぐさま椅子に腰を下ろした。金縛りの解けた彼女はようやくくすりと笑ってローブの中から小さな袋を取り出す。

「じゃあ……またね、クィリナス」

粉を放り込んだ暖炉の中のエメラルド色の炎に飛び込んで彼女は彼の研究室から姿を消した。職場に戻った彼女は予想通りカンカンになった部長にしこたま説教を受け、報告書の期限を無慈悲なほどに早められてしまう羽目となる。
そんな関係がだらだらと続き、とある夏の日のこと。ホグワーツでは夏季休暇に入ってすぐか。彼女はふくろうで呼び出され、ダイアゴン横丁で彼と落ち合うことになった。卒業してすぐに彼とデートした時に長居した喫茶店だ。
彼女が店内に足を踏み入れた時には、彼は既に一番奥の二人掛けのテーブルに着いていた。

「クィリナス!ごめん、待った?」
「あぁ……いや、全然」

彼はどこかぎこちない笑顔で首を横に振った。少し不思議に思うが気にせず彼の向かいに腰掛けメニューをパラパラと捲る。

「クィリナス、もう注文した?私はどうしようかなぁー」
「あ、あの…………」
「ん?何?先に注文しようよ。私バタービールにするけど?」
「あ……じゃあ、私はコーヒーで」

カウンターの店員に向けて声をあげてから彼女はクィリナスに向き直った。彼はやはり緊張でもしているかのように硬い表情をしている。彼女は穏やかに微笑んで言った。

「クィリナス、どうしたの?」

彼は何か言いたげな顔をしつつも瞼を伏せて唸っていたが、注文の品が運ばれそれを一気に飲み干してしまうと(しかもブラックのまま。いつもは砂糖もミルクも入れるのに)思い切ったように真っ直ぐこちらの目を見て言ってきた。

、ダンブルドアが古代ルーン語の代用教員が見つけて下さったから、私はこの夏から1年間、休暇を取って実地研修としてヨーロッパ旅行に出ることにしたんだ」

彼女は一瞬目をぱちくりさせたが、すぐにパッと顔を輝かせて言った。

「そうなんだ!良かったね、ずっと本だけじゃ物足りないって言ってたじゃない!」
「あ、あぁ……そうなんだけど……」

そう言ってまた口ごもる彼を見て彼女は眉を顰めた。

「どうしたの?」

彼は大きく息を吸って、それをゆっくり吐き出してから徐にまた口を開いた。

    
「ん?」

軽く相槌を打つ。彼の真剣な眼差しが彼女の瞳を捉えて動かない。

    私はこれからの1年でヨーロッパ中の色んな闇の魔術を自分のこの目で見てきて、再来年にはきっと闇の魔術に対する防衛術の教員になってみせる。だから……もし、私のその夢が叶ったら……」

どんどん赤くなっていく彼はそこで一旦言葉を切り、懐から急いで小さな箱を取り出しこちらに差し出しながら震える声で続けた。

    私と、け……結婚、して、くれないか?」

え、と声をあげて彼女は彼を見つめ固まってしまった。彼は耳まで真っ赤になって小箱を差し出したまま項垂れる。数秒遅れて彼女の顔もあっという間に紅潮し、はどもりながら口を開いた。

「あ……え、その……え、ほんとに……私、と?」

彼は口元を引き結んで顔を上げた。

    のことが……本当に好きで……これからもずっと、一緒にいたいと思うんだ。だから……私が闇の魔術に対する防衛術の教員になったら……一緒に、なって欲しい」

彼の手の中にある綺麗に包装された小箱を見つめて息を呑む。彼との結婚を考えなかったわけではないけれど     あまりに唐突すぎて、思考が追いつかない。
彼は彼女の手に箱を握らせながら弱々しく言った。

「今すぐ答えてくれなんて言わない。とりあえずこれを受け取って……1年後でいいんだ。もしも     一緒になってくれる気になったら……来年、これを着けて……私と、会って欲しい」

彼女は何も言わずに黙ってそれを受け取った。それから彼はもう一杯コーヒーを注文してそれを静かにちびちび飲み(やはりブラックで)、店を出るまでとうとう口を開かなかった。
漏れ鍋の前で別れる時、「……それじゃあ」とだけ言ってこちらに背を向け歩き出した彼の手を掴んで、彼女は振り向いた彼の唇に少しだけ背伸びして口付けた。赤くなって固まる彼に小さく微笑んで告げる。

「行ってらっしゃい。気を……付けてね」

彼はしばらくぼんやりした顔でこちらを見返していただけだったけれど。

    行って……くるよ」

柔らかく笑んで、彼女の頬をそっと撫で、そして。
その2日後、箒を携えた彼はスコットランドを去っていった。
彼が旅に出て1年後の9月に入ってからやっと、待ち侘びていた手紙が届いた。
けれどそれは、とても思い描いていたようなものではなくて。
1年前の話は忘れて欲しい。もう二度と、会わない、と。
そう綴った彼の筆跡は、記憶にあるものより幾分も角張っていた。

信じられない気持ちでシルバーリングを嵌めた薬指を見つめる。嘘だ。だって彼は    好きだ、と。結婚してくれないかと。
これを着けて会って欲しいと、確かにあの日、そう言った。

彼女は1日休みを取るや否や、煙突飛行で闇の魔術に対する防衛術の研究室に飛び込んだ。だがそこにいた彼は別人かと思われるほど容貌も口調も変わり果てていた。

    クィリナス?」

突然暖炉から飛び出した彼女を見て、デスクに着いていた彼は椅子から飛び上がって驚愕の声をあげた。

!?」

彼は目に見えて青ざめた疲れた顔をしているし、頭には見たことのない紫のターバンを巻きつけている。おまけにあの穏やかな落ち着いた雰囲気は消えていて、この世の全てに怯えているかのようだった。

「ど、ど、どうしてこ、こんな所に?し、しし仕事はどうした?」

彼女はしばらく呆然と彼を見つめていたが、ハッと我に返ってそちらに歩み寄りながら声を荒げた。

「あんな手紙もらって仕事なんかできるわけないじゃない!それよりねえ、どうしたの?何かあったの!?」

一瞬ツンと鼻をつくようなニンニクの臭いがして思わず顔を顰める。彼は目の前に迫った彼女を椅子ごと後ずさって避けながら震える声で言った。

「も、も、もう君には会わないと、そ、そう書かなかったかな?」
「だから!いきなりそんなこと言われたって、はいそうですかなんて引き下がれると思うの!?何で!?私のこと好きだって……言ったでしょう!?ねえ!」

びくびく震えながらぎこちない動きで目を逸らす彼の前に左手を突き出して彼女は怒鳴った。

「ねえ、覚えてるでしょう!?あなたがくれたんだよ?闇の魔術に対する防衛術の教官になったら結婚して欲しいって……その気があるなら、1年後これを着けて会って欲しいって……ねえ、忘れたわけじゃないわよね?あなたはこうして念願の闇の魔術に対する防衛術の先生になったんじゃない!私の答えはこの通りだよ!ねえ……クィリナス……?」

彼は相変わらず身を震わせ、次の言葉を探しているようだった。やがて彼は視線を彼女から外したまま口を開いた。

「わ、わ、わわ私は……こここの1年、ひ、一人で旅をしている時、い、いいい一度も君のこ、ことを、お、お、思い出さなかった」

目を見開いて彼女は無意識のうちに前屈みになっていた身を引いた。

「は、はは離れていて初めて、わ、わ分かったんだ……わ、わわわ私は君をほ、ほ、本当にあ、あ愛してると思っていたけれど……そ、それはただのだ、だだ惰性でしか、な、なかった……こ、これからは、わ、私は一人でし、し、静かにやって、い、いきたいんだ……」

ガツンと脳天を叩き割られたかのような衝撃に襲われる。彼女は震える身体を縮めながら彼の腕を掴んだ。彼は口元を引き結んだまま頑なに目を逸らしている。

「ねえ……お願い……私が、一緒にいたいの……私が、あなたと一緒にいたいの……」

ダメだ    涙が、止まらない。

「だから……お願い……側に、いさせて……私が、そうしたいの……」

彼は身じろぎ一つせず押し黙っている。

「……旅先であなたに何があったのか……私には分からないわ。でも……あなたに何があっても、あなたが私のこと好きじゃなくなっても……それでも、私はずっと、あなたと一緒にいたいの……」

彼はようやくこちらに顔を向け、変わらずどもりながらも強く言った。

「わ、わ、私は、き、き、君と、い、一緒には、い、い、いたいと思わない」

彼女は目を細めて彼の腕を放した。彼は急いでデスクの上の本や羊皮紙を片付けると、それらを胸元に抱き抱えてバタバタと慌しく立ち上がる。

「わ、わ、わわ私はこれから、じゅ、授業が、あ、あ、あるのでね」

彼はそう言って振り返らずに早足で研究室を出て行った。独り部屋に残された彼女は、彼の消えた扉、彼の座っていた椅子、そして左手の薬指にゆっくりと視線を移し、へなへなとその場に崩れ落ちる。

信じられなかった。変わり果てた彼も、彼の放つ言葉の全ても。
本当に    彼が、クィリナス…?
1年前の夏に初めて、好きだと言葉で伝えてくれた彼が。

彼女は顔を両手で覆い、独り、声を潜めて、泣いた。
「悔いているのか?」

彼は下ろしていた瞼をゆっくりと広げ、小さくかぶりを振った。

    まさか」

禁じられた森の中を滑るように進みながら恭しく続ける。

「私は永久に    あなた様の忠実なる僕でございます」
永久にあのお方に忠誠を尽くすように、私は永遠に君を愛す。
だから、どうか君は。
せめて君だけは、幸せになれるようにと。
私は喜んで今、君をこうして手放そう。
(Title from Plumaile)