――ヴォン


エンジンの音がして、急激な加速がゆっくりと地面へ落ち着く。
彼の後ろに乗っていた彼女は、キラキラ、輝く海を見て、ヘルメットを投げだし、一目散にそれへと駆けて行く。


「シリウス!見て!海だよ!海!」
「そんなの、見ればわかるだろ」
「チッチッチ、シリウス君にはロマンという物が足りないなぁ。奇麗な物を見て癒されるのもまた一興だよ?」
「一興も何も・・・俺、仕事忙しいんだけど」
「もー!だーかーら!この親切なちゃんがちょっとした癒しをだなー・・・」
「自分が海見たかっただけだろ」
「・・・・・・ふんっ」


はロマンの欠片もないシリウスを放っておくことに決めたのか、押しては帰す海辺にしゃがみ込み、
海水を掬っては戻し、掬っては戻しを繰り返していた。
シリウスはそんな彼女を見て、(昔に戻ったみたいだな)と、考える。


この海よりもキラキラと輝いていた学生生活。
唯一無二の友達が出来た。そして、ともそこで知り合った。
学校という狭い世界の空間でも、それは十二分に楽しかった。一生分笑った気さえする。


そんな回想に耽っていると、がシリウスのことを呼んだ。


「シリウス!見て、ヤドカリだぁ!ちゃんと歩いてるよ!」
「そりゃヤドカリだって歩くだろ!」


少し声を張り上げてそう言うと、は遠目にもわかるくらいのまぶしい笑顔で微笑んだ。
彼女の笑顔は、眩しすぎて、シリウスの胸に深く突き刺さる。


シリウスの今の仕事は闇払いだ。
本当だったら、今この時間も、愛用のバイクでを連れて海に来る時間はない。
それでも、その為に時間を割いたのは、他でもないの為だった。


――数日前の会話を思い出す。


「シリウス・・・」
「どうしたんだよ、神妙な顔して」
「別れよっか」
「・・・・・・は?」



最初はその言葉が解せなかった。
今まで――学校時代から付き合っていた二人にとって、その言葉は無縁にも感じるような言葉だった。
を好きになるまでプレイボーイだったシリウスが、女断ちをしたのもの為。
付き合ってからなんかは、やれ“おしどり新婚夫婦”だの“バカップル”だのと言われていた。
(ちなみに、は陰で“プレイボーイシリウスのブレーキ”とも呼ばれていたらしい)


――長く、長い間、彼女と一緒に居たシリウスは、彼女の言った言葉を脳内で復唱しながらその意味を考える。
結末は、至って簡単な動機だった。


シリウスの仕事は闇払いである。
守る者を持つ人間は強くなるというが、ヴォルデモートの君臨するこの世に、それは邪魔にもなり兼ねない。
が人質になれば、シリウスは惜しげもなくその命を差し出すだろう。
彼女はそれを恐れて、シリウスに別れを告げたのだ。
――シリウスが自分のせいで死んでしまうのならば、別れる痛みの方が随分と楽だ。
その彼女の想いをくんで、シリウスも承諾したのだった。
勿論、言葉にはしていない。そうする程の覚悟が、シリウスにはまだ出来なかった。


シリウスはそんなこともなかったかのように、水辺で海水と戯れる彼女に近づいた。
近づけば近づくほど、マリンブルーの海に似合いすぎる彼女が、いつかその波にのまれてしまう錯覚を起こす。
ただぼうっと海を見続ける彼女の横に立った時、シリウスは自然と彼女のワンピースの袖を掴んでいた。
――手をつなげる程、勇気がなかった。これでは勇気を掲げるグリフィンドールの名がすたる。シリウスは一人、ほくそ笑んだ。


「海・・・奇麗だね」
「ああ」
「シリウスと海ってミスマッチかなと思ってたんだけど、溶けちゃいそうなくらい似合ってるよ」
「サンキュ」


彼女も同じようなことを考えていたことに、シリウスの胸が高鳴る。
――やっぱり、どうあがいても、俺にはこいつしかいないんだ。


「・・・・・・今までありがとう。大好きだった」
「・・・・・・なぁ」
「何?頷いたくせに、今更引きとめるなんて反則」
「じゃぁ、最後の最後で“好き”とか言うのも反則」


シリウスがそう言うと、は黙り込んでしまった。
そしてそのまま、「帰ろっか」と、シリウスに背中を向ける。
しかし、シリウスの手はのワンピースの袖をしっかり握っていた。


「・・・そんなに握ったら袖伸びる」
「振り向かないとこのまま千切る」


そう言うと、は少し考えた様子で、ゆっくりとシリウスに振り返った。
その目は少し赤くなっていて、それでも角膜の上に張った水分が、海と同じようにキラキラ輝いて奇麗だった。


「俺はさ、守るから」
「・・・・・・何を?」


ここに来てまでもしらばっくれる。シリウスは小さくため息を吐いた。


「お前は勿論、あの馬鹿な親友たちも、勿論・・・俺も」
「・・・・・・約束できる?」


ついに俯いてしまったの目から、砂浜にぽとり、ぽとりと泪が滲み、それはじわりと染みを広げた。


「だからさ・・・“やり直そう”も、反則?」


その瞬間、はシリウスに向かって思い切り飛び付いた。
思わぬ衝撃でシリウスは体制を崩しそうになったが、何とか踏みとどまる。
の顔はもう見えない。見えるのは、マリンブルーに輝く、あの頃の思い出のような海だけ。


「・・・逆転ホームラン」







(けっきょく、このなみだはむだになっちゃった)


2009.11.02