あいつが熱っぽい眼差しで見つめるその先にいるのは、当然のごとく、俺ではない。俺は彼女の後ろに、バカみたいにどでかい紙袋を抱えて突っ立っていた。といっても、その中身のほとんどはこいつがセールだといって買い占めた缶詰の山、山、山。そして彼女はその場にうずくまって、ガラス越しにコロコロと動く小さなその物体に見入っていた。
「ああ、かわいい!かわいい、かわいい!なんてかわいいの!ねえシリウス、あのいぬ買って!いぬ、いぬ!いぬ!」
「い…いぬいぬ、うっせぇなオマエ」
今日のシリウスはご機嫌ななめ。ううん、近頃はずっと。話しかけたってまともに返してくれないし、こっち見たと思ったら一言目には「オマエうっさい」。なによ、あたしがうるさいのは昔からでしょ。そもそも記念すべきホグワーツでの初めての出会いにあなたなんて言ったか覚えてる? 「あんたうるさい」、よ?「あんた」が「オマエ」になったのは素晴らしい進歩だけれども。
「なによ、拗ねないでよ。いいじゃない、犬の一匹くらい」
「犬の一匹ってオマエ…」
ぶすっと眉根を寄せたシリウスがうめくのを見て、あたしはピンときた。近所のペットショップからもらってきたパンフレットを脇に置いて、ちょこちょこと彼のほうに寄っていく。同じソファに座ったシリウスは心持ち逃げるように向こう側に倒れたが、その隙間すら埋めるようにあたしはさらに身体を寄せた。
「分かった。俺っていう犬がいるのにまだ犬が欲しいのかって思ってる?」
「お、もってねぇよバカ!あんなちっこいだけの犬と一緒にすんな!」
図星をつかれたシリウスは、左の肘を撫でる癖がある。その様子を横目で見ながら、あたしはにやりと唇を歪めた。
「ちっちゃいだけじゃないよ。可愛いし頭はいいし素直だし!どっかの大きいだけの犬とは違うと思うなぁ」
いつものようにただ憎まれ口を叩いただけのつもりだったのだが、シリウスはよほどこたえたらしい。唇をかすかに戦慄かせながら呆然と目をひらいた。途端に、後悔の波が押し寄せてくる。頭は悪くないのに鈍いシリウス・ブラックくんはそのくせあまりに繊細でナイーブな生き物だった。扱いづらいよほんと!
「ねえ、シリウス」
「…」
「シリウスってば。ねえ、ワンちゃん」
「ワン、…」
こいつ、天然だ。それとも本気で犬のつもりなのかもしれない。反射的に口から飛び出したらしい鳴き声を慌てて飲み込みながら、シリウスはぷいとそっぽを向いた。その頬に手を添えて、そっとこちらを向かせる。透き通った灰色のきれいな瞳が、今は拗ねた様子で斜め下を見つめていた。
「うそうそ。あたしね、単純でだまされやすくて、思ってることはすぐ顔に出て、怒りっぽくて、すぐ拗ねて。やきもちやきで、実は泣き虫で子どもみたいな、そういう犬もいいと思うよ」
「…」
「だけど、ね」
眉間に刻まれたシリウスのしわをなぞって、あたしはその耳元にそっと唇を近づけた。
「犬もいいけど、やっぱりあたしはこのままのシリウスが一番すき」
犬のように尻尾を振ったシリウスに押し倒されるまで、あと二秒。