ある春の晴れた日の土曜日。 はその日、親友のリリーと一緒にホグズミードに遊びに来ていた。 ある一角の雑貨店を2人は訪れる。 その店に置いてあったあるものに、は目が留まった。 それは、大きな紺地のハンカチーフ。 だが、ただのハンカチーフではない。そこに、全天の星々が刺繍されている。 隣には黒地で同じものがもう1枚、置いてある。 星空をこの手に! は、ちょっとメルヘンチックなこの代物に一目惚れだった。 でも値段は15シックル。さすがは手の込んだものの値段だ。 「お譲ちゃん、その2枚で1ガリオンと7シックルにしてあげよう」 後ろから店主に声をかけられた。 気のよさそうな中年のおじさんだ。ついその笑顔に負けてしまった。 頭の中で素早く計算すれば、それは6シックルもおまけしてくれるということだと気づく。 ずっと売れ残っていたのだろうか。 「じゃあ、これ2枚ください」 「ありがとよ!」 またひと月ほど経ったころ。 図書館に行く途中にトイレに寄れば、男子トイレの方に1人生徒が入っていくのが見えた。 一瞬目が合った。 できればお目にかかりたくない人間、シリウス・ブラックだった。 互いに何事もなかったかのように振舞った。 トイレから出てくると、ブラックが先に廊下に出ていた。 ローブのポケットを濡れた手で探っている。 「ちっ、俺としたことが。ジェームズのやつ、あん時取りやがったな」 そんな独り言が聞こえてきた。 廊下で手をぶるぶる振って水気を吹き飛ばす姿は、どこか滑稽で情けない。 とっても、あの、あの名家ブラック家の長男とは思えなかった。 なぜこんなことができたのか、自分でもわからない。 でも確かに次の瞬間、私は彼を呼び止めていた。 「何バカなことしてんの?」 「いきなり、『バカ』はないだろ」 「これ、使っていいよ。あんたにあげるわ。まったく、ブラック家の長男が……かっこ悪いわね。 トイレから出てきて手も拭いてないあなたの姿を見たら、女の子たち、目もくれなくなるわよ」 ずん、とこの前買ったハンカチーフを突き出した。 口元を緩める。 「いらないの? かっこ悪いままでいいの?」 「そりゃ、よくないに決まってる。でも、お前のがなくなるだろ?」 「これ、2枚買った。だからあんたにやるわ」 ブラックはそのハンカチーフを恐る恐る手に取った。 は満足したかのように少し笑うと、つかつかと廊下を歩いて行ってしまった。 その後ろ姿を、ただブラックは茫然と見つめていた。 「……というわけで、これ、・から貰った」 シリウスは自室で、この突然の出来事を友人に語っていた。 「君、あんまり彼女とは仲良くなかったよね?」 「最初はそうでもなかった。でも、あの一件からは、お互いに避けてたからな」 ジェームズの言葉に、ぼそぼそと答えるシリウス。 あの一件。 できれば思い出したくないことだ。 5年生も終わりのころ、闇の魔術に対する防衛術のO.W.L.試験が終わった時だった。 いつものように、校庭であの忌々しいスニベルスめをしばいていたのだが。 「何してんのよ!」 「やめなさい!」 ・とリリー・エバンズのお出ましだ。 「元気かい、エバンズ? ?」 ジェームズが2人に陽気に声をかけた。 「彼にかまわないで。彼があなたに何をしたって言うの?」 リリーがそう言う間に、がスネイプの方に近づいて行った。 だが、妨害の呪いに対抗して這おうとするスネイプが、彼女を手で制した。 近づくな、と振り返った彼の目が言っている。ははた、と足を止めた。 「こいつが存在する、っていう事実そのものがね……」 「私が許さない、この高慢ちきの弱い者いじめの嫌なやつめ!」 が目にも止まらぬ速さで杖を上げた。 だが、その腕をリリーががっちりと掴んで力ずくで下ろした。 「! 落ち着きなさい!」 「この状況で落ち着けですって!? 何をとぼけたこと言うのよ!」 は唇を痛いほどに噛みしめながらも、渋々腕を下げた。 だが、その手にはまだ杖が握りしめられ、その杖の先からはバチバチと火花が散っている。 「エバンズ、君が僕とデートしてくれたらやめるよ。僕とデートしてくれれば、スニベリーには決して杖を上げないけどな」 「あんたと湖の大イカでも比べ物にならないって、私、この前リリーと話してたの」 が吐き棄てるように言った。 ジェームズの背後で、スネイプが杖に向かってじりじりと這っていく。 次の瞬間、ジェームズの頬がぱっくり割れて血が滴り落ち、スネイプは逆さまに浮かんでいた。 スネイプの青白い両脚と灰色に汚れたパンツが剥き出しになる。 周りの見物人たちは揃って囃し立て、それがを激昂させた。 「下ろしなさい!」というリリーの声とほとんど同時に、はジェームズに杖を上げていた。 青白い閃光がジェームズの腕に命中し、彼は痛みで一瞬顔をしかめた。 その間にスネイプは地面に落ちた。絡まったローブから抜け出すと、スネイプは素早く立ち上がって杖を構えた。 だが、ブラックの呪文で彼はまた一枚板のように固くなる。 「おのれ!」 が吠えた。 眼差しがぎらぎらと激しいものになり、その姿は獲物を目の前にした猛獣のようだった。 「ああ、エバンズ、君もだよ、。君たちに呪いはかけたくないんだ」 「、まさかとは思うが、こいつ、君のボーイフレンドじゃないだろうな?」 ジェームズが残念そうに、そしてブラックが目を見開いて言った。 「私のいとこよ」 がきっぱりと言った。 その言葉を聞いて、周りの野次馬たちからざわめきが上がった。 質問をしたブラックでさえ、驚きの表情を隠し切れていなかった。 「冗談だろう? 君のいとこだなんて」 「あんたに嘘なんかついて何の得があるっていうの? 私の血のつながった家族よ。私、彼と夏休みは同じ屋根の下で暮らしてるわ」 ざわめきが一層大きくなった。 ブラックは、口をぽかんと開けていた。 「こんな薄汚い奴となのか? かの家のお嬢様がか?」 「あんたの方が汚いわ! それこそブラックよ、まっ黒よ! あんたの口から、そんな風にの名が出せるとは思わなかったわ!」 ふん、とは鼻息荒く言った。 「何でだ、いっつも名字で呼んでるだろうが」 「あんたの家族に……私の家族が殺されたのよ? あんた、自分の従姉が何をしたかもわからないの? ベラトリックス・ブラックやらの死喰い人たちが、私の目の前で家族を殺していったのよ? 皆殺しよ! 知らないとは言わせないわ!」 そう叫ぶの目からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。 は、涙を拭いながら踵を返してどこかに行ってしまった。 ざわめきが急に消え、嫌な沈黙が流れた。 観衆の目が、今や自分を敵視しているように思えてきた。 これほどまでに、自分の血が憎く感じられたことはなかった。 なぜなら――彼女のことを嫌いになど、憎いなどとは、思ったことはなかったから。 ――――彼女に、密かに思いを寄せていたから 「なかなか素敵じゃないか、パッドフット。君がこの中にいる」 「は?」 「これ、星空になってる。気付かなかったのかい?」 ジェームズが指差すところには、確かにおおぐま座の形に銀白色の点が刺繍されていて。 一番大きな点の隣に、本当に小さく「シリウス」とある。 「なかなか洒落たものをくれるじゃないか。お礼くらい言ったらどうだい?」 「あいつが押し付けてきたようなもんだ……」 「君は受け取ったんだろう? もしかしたら、とんでもないおまけがつきかもな、これ」 ジェームズとリーマス、ピーターが意味ありげに笑っていた。 夕食へ行こうと談話室に下りると、暖炉の前のソファーでがくつろいでいた。 彼女の明るいブラウンの髪が、艶やかに揺れている。 思わず息を飲むシリウス。 「君、お礼くらい言ってきた方がいいんじゃないのかい?」 ジェームズが不敵な笑いを浮かべながら言った。 「そうだよ。ついでに、あの時のことも謝ってくればいいじゃないか」 「シリウス、きっと大丈夫だよ!」 リーマスとワームテールもそう囁く。 「何、謝ればいいんだ?」 「とりあえず、『あの時はごめん』くらい言っとけば大丈夫さ」 ジェームズのその言葉で決心したのか、シリウスはの方へ向かって歩いた。 シリウスの3人の仲間たちは物陰に隠れる。 後ろから近づく気配に、はすぐに気づいた。 「あら、どうしたの、ブラック?」 「どうもしてない。ただ、礼を言いに来た」 シリウスは無言での隣に座る。 もそれに一瞬驚いて目を見開いたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。 そんな様子の2人を見て、ジェームズ、リーマス、ピーターをはじめ談話室にいたグリフィンドール生たちから、ざわめきが起こる。 「気に入ってもらえたかしら?」 「結構、気に入った」 「そう……それはよかったわ」 ただはにっこりと笑っているだけなのに、何故か太陽を直に見ているような眩しさがある。 それじゃ、と言って立ち去ろうとするを、シリウスは引き留めた。 「、」 「でいいわよ。ブラック、じゃなくてシリウス」 その一言に、またもやシリウスは驚いてしまう。 驚いたのは彼だけではない。見物人たちは、口をあんぐりと開けた。 「、じゃなくて、あの時は……悪かったな」 「いいのよ、シリウス。あなたがあの女を家族と思っていないくらい、知っているもの」 ふふ、と笑いながらはシリウスの肩をぽんぽん叩いた。 でもやっぱりどこか辛そうだった。今にも泣き出してしまいそうな、そんな目をしている。 そんな目で見上げられてしまえば、シリウスもおろおろするばかり。 「なあ、?」 「なに、シリウス?」 「もしよければ……今週末、ホグズミードに行かないか、一緒に、2人で」 あの時のように、周りのざわめきが沈黙に変わった。 注目を少し楽しむかのように、の目がぐるりと周りを見回した。 「喜んで、シリウス」 が満面の笑みでそう言うのを見て、思わずシリウスからも笑みがこぼれる。 周りの沈黙は、今やどよめきに変わっていた。 2人で大広間に行こうと誘われ、断る理由もなくシリウスはと一緒にいた。 ふいに質問する。 「そうそう、今週の土曜日って何の日か知ってる?」 「いや」 「私の家族の、命日よ」 その一言で、一瞬にしてシリウスの顔からは血の気が失せる。 「というのは嘘じゃないけど、私が言いたかったのはそっちじゃないわ。土曜日はね、私の誕生日なの」 また潤んだ瞳で見上げられる。 シリウスは顔がみるみるうちに赤くなるのを感じた。 ごほん、とわざとらしい咳払いをして、シリウスが言う。 「じゃあ、俺が……最悪な誕生日の埋め合わせができるくらい、土曜日は最高の誕生日にしてやるよ」 「そうこないと! よろしくね、シリウス」 あの素敵なハンカチーフも、 今週末の約束も、 思いがけないプレゼント 2つのそれによって、2人は恋に落ちた。 ――――― シリウスはちょっぴり恋に不器用なイメージで。あんなハンカチーフが欲しいです...2009/03/26 by Xenon |