──つまらない。

 華やかなパーティー会場ではこの場の雰囲気に似つかわし くないため息をついた。
 パーティーの趣旨はわかっている。
 かの有名なブラック家の跡取りのホグワーツ入学祝いだ。ついでにも同 い年である。
 つい先ほど、その跡取りのお披露目が終わった。
 噂に違わぬ利発そうな子だった。おまけにとてもきれいな子だった。
 ブラック家の人達は、どの人もきれいな人ばかりだ。跡取りの両親にしても、 その弟にしても、他の親戚の人達にしても。
 遺伝というやつか、とはひとり納得する。
 特別、パーティーが嫌いなわけではない。
 おしゃれして、おいしい料理が並ぶテーブルを楽しみ、華やかな空気に触れる のは好きだ。なんだか想像しただけでウキウキしてくるではないか。
 それなら、このつまらなさは何なのだろうとは考えた。
 パーティー会場をぐるりと見回す。
 奥のほうに主催者のブラックさん。話しているのがマルフォイさん。あっちに はの両親。一緒にいるのがレストレンジさん。それから別のところにはゴ イルさんにエイブリーさんにクラッブさんに……。

 ──だめだこりゃ。

 面子が悪いんだわ、と今度は表に出さずにため息をつく
 もしも誰かに見られたら何を言われるかわかったものではない。みんなニコヤ カにしているが、実は他人を蹴落とすのが大好きな人達だということを、 は両親からしっかり学んでいた。
 新しい空気でも吸ってこよう、とは開け放たれたテラスから庭へ出て行 った。

 ブラック家に来たのは今日が初めてではない。一年に2、3回は来ているので はないだろうか。だから、この家の兄弟のことも知っていたが会話をしたことは ない。
 サクサクときれいに刈り込まれた芝生の上を歩く。昼間の光にきらきらと反射 している。
 たったそれだけのことのほうが、あの会場の空気よりずっと素敵だとは 思った。
 そして、漂ってくるやわらかい香りに顔を上げると、見事なバラ園があった。
 赤にピンクに黄色に……色とりどりのバラが今が盛りと咲き誇っている。
 ふっ、と頬をほころばせて駆け寄り、はバラのひと花ひと花をじっくり 見て堪能した。
 途中、小道があって奥に進めるようになっていたので、はパーティーの ことなど忘れてどんどん歩いていった。
 ゆっくりと歩を進めながら思う。
 うちの両親達は何を考えているのかと。

 『闇の魔法使い』

 世間ではそう呼ばれている。
 は知っている。
 マグルの絵本では、悪いヤツは最後には必ず成敗されるのだ、と。
 どうして闇の魔法使いであり純血主義の両親を持つが、マグルの絵本の 内容を知っているのかというと、一度だけマグルの世界の道を歩いたことがある からだ。魔法省の目をそらすためにとの両親は言っていた。その意味が、 にはよくわからなかったが。その時に人通りの多い道で両親とはぐれてし まい、迎えを待とうと立ち寄ったのが本屋だったのだ。外の入り口付近に絵本が 回転棚に収まっていて、何気なく手に取り読んでみたら案外おもしろかったのだ った。
 闇の魔法がどういうものかも知っている。
 10歳を迎えると、両親は少しずつに闇の魔法を教えるようになったか ら。
 もしもがマグルの絵本に出会わなかったら、両親の授けてくれる知識に 何の疑問も抱かなかっただろう。
 けれど、マグルの絵本を読んでしまった。
 そのことはに新しい世界を教えた。マグルの世界に興味を持たせた。
 両親が家を離れて留守の時、は屋敷しもべ妖精の目を盗んで、よくマグ ルの街へ出かけていた。
 もちろん、ばれたら一週間は地下蔵から出してもらえないだろう。
 それでも出かけることをやめることはできなかった。それくらい魅力的だった のだ。
 そして、マグルの世界に触れれば触れるほど……両親の考え方は間違っている ように思えたのだ。
 それはを複雑な気持ちにさせた。
 あなた達の考え方は間違っていませんか、と聞くことはできなかった。
 聞いたところで相手にされないことはわかっていたし、逆に言い聞かせてくる だろう。

「マグルがどういう生き物なのか、歴史のご本を読んでらっしゃい。あれらから 受けた仕打ちを忘れてはいけないよ。この家のご先祖様の中にも、マグルに惨殺 された人がいるのだからね」

 そんな化石のような大昔のこと、は知らない。
 本当は叫びたかった。
 マグルを苦しめるための魔法の研究なんかしてはいけない!
 自分がされて嫌なことは、相手にもしちゃダメなんだ!
 マグルをいかに苦しめて殺すかに情熱を燃やす狂った両親。魔法使いだけの世 界の訪れのために、最悪の魔法使いの手を取ってしまった馬鹿な両親。
 両親を見るたびに、自分の中から遠のいていく。
 せめて、憎んでしまう前にどうにかしたい。
 ──もうすでに、軽蔑が始まっている。
 それでもまだ、慕っているし何かをして喜ばせたいと思っているのだ。
 ハラハラとバラのはなびらが散る。

 ……散る?
 まだ散るほど咲ききっていないのに?

 足元を見たは叫びそうになった口を慌てて両手でふさいだ。
 瑞々しいバラのはなびらが山になっている!
 むしっちゃってた!
 真っ青な顔でオロオロと周囲を見回したは、しゃがみこむとササッとは なびらの山を土のほうに寄せた。
 見えなくすればごまかせるかも!?
 が、その期待は最悪の人物によって打ち消されてしまった。
「お前……何やってんの?」
 さっき見た時はいなかったのに、との心の中は混乱状態だ。
 土がついた手を後ろに回し、むしってしまった一角を隠しながら立ち上がった は、よそ行きの笑顔を取り繕った。
「ごきげんようミスター・ブラック。バラがあまりに素敵だったから、ついじっ くり見ていたのよ」
「ふぅん……んん? 何でそこハゲてんだ?」
 早くどこかへ行ってほしい人物、シリウス・ブラックが首を伸ばして不審なバ ラ園の一角を見やる。
 余計なことをするな、との叫びは喉元までせり上がっていた。
 しかしシリウス・ブラックはもっとよく見ようと接近してくる。
 もうこうなったら戻りたくないけど会場に戻ろう、とがシリウス・ブラ ックに声をかけようとした時、先に彼がに声をかけた。もう彼の目にはバ ッチリハゲた一角が見えているだろう。
 ──終わった。怒鳴られ、両親に報告される。3日間の地下蔵行きだ。
 絶望感に打ちひしがれたはどんよりとうつむいた。
「あーあ。お前……花に八つ当たりすんなよ」
 けれど、シリウス・ブラックの声は苦笑混じりなだけで、怒ってはいない。
 戸惑ったは、そっと目を上げた。
 シリウス・ブラックは、どこかバツが悪そうに視線をさまよわせて言った。
「……独り言、聞いちゃったんだ。だから、声をかけた」
「……え? 独り言?」
 まさか、思考が声に出ていたのだろうか。それに独り言が聞こえたから声をか けた、とはどういう意味だろう。
 は目をぱちくりさせて首を傾げる。
「あそこにいる連中は、みんな同じだと思ってたからさ、まさかそうじゃないや つが混じってるなんて思ってもみなかったんだ」
「!」
 やっぱり口に出てた!?
 驚きのあまりは目も口もポカンと開いて、ただただシリウス・ブラック を見つめ続けた。
 しかも、彼の口ぶりから察するに、彼もと同じ考えだと言いたいのだろ う。
 まさか、あのブラック家の跡取りが?
 いやいやいや。まさかまさかまさか。
 混乱のままはシリウス・ブラックの心の中を探るように、じっと彼の灰 色の目を見つめた。
 ──鵜呑みにしてはいけない。
 何と言ってもこの少年は、闇の魔法使いの筆頭の家の子なのだ。
 人を油断させて相手の弱味をあばくことなど朝飯前だろう。
 ひょっとしたら先ほどのの独り言を材料に脅しにかかってくるかもしれ ない。
 の疑いの眼差しに、シリウス・ブラックは寂しそうに微笑んだ。
 瞬間、の心がチクリと痛んだ。
 今まで遠くから見てきた彼とはあまりにも違う雰囲気。今日のお披露目で見せ た、完璧な微笑などてはない。
 初めて、その心が見えたような。

 もしかしたら……。

 本当に?
 本当に、シリウス・ブラックは……。
「本当に……?」
 彼は、ゆっくりと、大きく頷いた。
 それだけで充分だった。
 不思議なことに、の中に渦巻いていた疑念はきれいに流されてしまった のだ。
 シリウス・ブラックの目が痛々しいほどに純粋で真っ直ぐだったからかもしれ ない。
 から肩の力が抜け、硬かった表情にだんだんと笑顔が広がっていくと、 シリウス・ブラックにも同じように笑顔が生まれていった。もちろん、さっきの 寂しそうな笑顔などではない。
 彼はハゲた一角の横のバラのはなびらに触れると、突然小さく吹き出した。
「すっごいバラ睨んでた。目なんか、こーんなにとんがっててさ」
 と、人差し指で目の端を吊り上げるシリウス・ブラック。
 は真っ赤になって反論する。
「そんな目なんかしてない!」
「してたよ。それで、呪いみたいに親の悪口ブツブツ言ってたんだ。大人の魔女 でもあの雰囲気を出せるのは、そうそういないぜ」
「あなた、実はすっごく失礼な人でしょう! さっきはお手本みたいな笑顔を振 舞っていたくせに!」
「参考になっただろ?」
「フン。あれくらい、私だってできるわ」
 自分達は同じだ、と感じたとたんのこの打ち解けよう。
 はこんなふうに思い切り自分の心のままに誰かと話したのは、初めてだ った。
 自分がこんなふうに話せることなど、知りもしなかった。
 それはシリウス・ブラックにとっても同様だったようで。
 言い合いの後に、2人して同時に笑い出してしまう。
「いいよ、こんなバラむしったって。俺も悪口言いながらやってみようかな」
「え、ダメよ。花がかわいそうよ」
「ミス・、あなたがそれをおっしゃるのですか?」
 シリウス・ブラックがわざと嫌味ったらしく言うと、はギロリと彼を睨 んだ。
「そうそう、その目! ──ブラック家なんか、滅んでしまえー!」
 ぶちぶちぶち。
 シリウス・ブラックは叫ぶなり盛大にバラのはなびらをむしり取っていった。
 慌てて少年を止めようとする
「ダメだってば! それに、そんな大声出して、聞かれたらたいへんよ!」
「大丈夫だって。ここからじゃ、あそこまでは聞こえないから。……なぁ、ホグ ワーツでの寮の組み分け……グリフィンドールになったら親は何て言うかな」
 唐突な話題転換には置いていかれそうになった。
「グリフィンドールに? なれないんじゃない? あなたのところも私のところ もいつでもずっとスリザリンだったらしいし」
「もしもの話だよ」
「もしも……もしもねぇ。まず、吼えメールが来ると思うな。きっと、我が家の 恥とか外を歩けないとか、体面のことばかりグチグチ言ってくるはず。うちの両 親なら絶対そう来るわね」
 想像しただけで母親のキンキン声が聞こえてきそうで、は眉間にしわを 作った。
「うちもそんなもんだろうな。せっかくなら血管切れるまで怒らせるのも手だな 」
「……」
 どう反応したらいいのか、にはわからなかった。
 けれど、彼の案に乗ってしまいそうな自分が片隅にいるのは確かだ。
 吹っ切れた、というのだろうか。
「一緒にグリフィンドールに行こうぜ。そんで、あいつらをカンカンに怒らせて やるんだ」
「私も!?」
「当たり前だろ。別に、スリザリンに行きたいならいいけど」
 は慌てて首を横に振った。
 もうスリザリンになんて行きたくない。
 将来、あの会場にいるような大人達の予備軍の溜まり場になど行ったら最後、 芯まで腐ってしまいそうだ。
 の反応にシリウス・ブラックは満足そうに頷いた。
 それから2人は両親の悪口を言いまくり、将来の家出を誓い合った。その後は が見たマグルの世界のおもしろさについて話し合い、近いうちに2人で探 索に行こうと計画した。


 2人は大人達に不審に思われないように、身形を整えてからパーティ会場に戻 った。
 とシリウスがいなくなっていたことは、たいして気にとめられていなか ったようで、シリウスと別れた後、が両親の横に立っても何も言われなか った。
 しかしさすがは親と言うべきか、会場から姿が消えていたことには気づいてい たようで、どこに行っていたのかと聞かれた。
「少し暑かったので外の空気を吸いに出ていました。そこで、シリウスさんにい ろいろと親切にしていただいたのです」
 自分の娘が早くも将来の有望株と懇意になってきたことに、の両親は満 足げな笑顔を隠しもしなかった。
 シリウスに会う前なら、この笑顔をきれいだと思っただろう。そして親を喜ば せた自分に満足していただろう。
 けれど、今は。
 とても醜いと思ってしまった。
 利己主義的な笑顔。
 純粋に、に友達ができたことを喜ぶものではない笑顔。
 友達を残酷に選別する笑顔。
 は、両親とはっきり決別したことを感じた。
 この人達とは生涯、道が交わることはないだろう。むしろ、対立していくだろ う。
 両親を慕う気持ちを知っているだけに、これから少しずつ大きくなっていく亀 裂が見え、自分が家と両親を嫌っていく様が見え。
 とても悲しいのに、同時にすがすがしい開放感も覚えていた。
 ホグワーツに行けばはある程度は自由だ。たとえスリザリンに組み分け されたとしても。
 けれど、家に帰れば地獄だろう。
 そうだとしても、シリウスとの約束を思い出せばきっとめげたりはしない。諦 めて、両親の言いなりになったりはしない。
 彼の笑顔はそれだけの強さがある。
 それはシリウスにとっても同じことなのだが、ずっと後になるまでは自 分だけがそう感じていると思っていた。

 その夜、は不思議な夢を見た。
 自分が信じられないほど楽しそうに笑っている。
 たくさんの人に囲まれて。
 一番騒がしい寝癖のような頭の眼鏡の男の子。やせぎすで春の陽だまりのよう な笑顔の男の子。小柄でとても純真な瞳で笑う男の子。それからきれいな赤毛の 凛とした女の子。最後に、隣には黒髪で強い意志を宿した灰色の瞳の──。
 バラ園での出会いがまさに運命だったのだと感じるまで、あと少し。  fin.